「走る」を考える
ようみんな!
走るのは好きか?
俺は大嫌いだ
「走る」とは人間の行動の中で最も非効率的な行為である。
同じ目的地なら自転車の方が早いし、あるいは歩くほうがより少ないエネルギーで到達できる。
しかし、故に痩せる
先日紹介したGarmin VivoactiveJはありがたいことに、ちゃんと最も非効率的な行為をするために標準でアプリを搭載している。その名も「ラン」である。
これを起動させて走れば、走行距離、ルート、消費カロリーなど様々な情報をスマホと連動して知れるらしいのだが、僕は一度も触っていない。
じゃあなぜこんな記事を書いているかと言うと、太ったのである。
ここ5,6年くらい意識せずとも全く変動がなかった体重が急に2Kg太った。たかが2Kgと思うかもしれないが、僕にとっては終わりの始まりに思えて仕方ないのである。
よし、走ろう。私は決意しやすく実行しづらい正確なので今後走るかどうかも怪しいが、その際にはこのアプリをレビューしたいと思う今日このごろである。
余談だが、
思えば人間は手を自由に使うために二足歩行になり、手を使うことで脳を発達させ、これまで進化してきた。
走ることに特化していたら今もなお、四足歩行で野を駆けていたことだろう。
そのような背景を考えると100m10秒切ることは人類にとって進化なのか退化なのか正直迷うところではある。
そういう筆者は高校時代より早く走るために日夜タイヤを引いていた。
そんなことを記事を書く意識とはまた違うところでフワフワ考えておりました。
以上
走ることに特化していたら今もなお、四足歩行で野を駆けていたことだろう。
そのような背景を考えると100m10秒切ることは人類にとって進化なのか退化なのか正直迷うところではある。